金子弘喜

プロフィール
横浜市生まれ 国士舘大卒
日体柔整専門学校卒 柔道整復師
日本鍼灸理療専門学校(専科)卒 鍼灸師
横浜・東京で研修、前、医療法人関東病院物療科勤務
前、医療法人関東病院、千葉博史院長に師事し外傷学、整復学を学ぶ
平成15年 世田谷区若林に一成堂整骨鍼灸院を開院
平成26年 山村祐静堂鍼灸院、山村祐二先生に師事を受け 山村式不妊鍼灸をマスター
令和4年 ナチュラルアートクリニック日本橋と提携
資格
・鍼灸師(国家資格)
・柔道整復師(国家資格)
・山村式不妊鍼灸認定会員
・一般社団日本妊活マネジメント協会筆頭理事
・全国柔整鍼灸共同組合会員
・NPO法人 全国鍼灸マッサージ協会会員
・NPO法人 日本不妊カウンセリング学会会員
本日は一成堂鍼灸院のホームページにお越しくださり、ありがとうございます。 赤ちゃんを望む気持ちは、とても繊細で、誰にも簡単には打ち明けられないものだと思います。 「どうして私だけ…」 「もう頑張れないかもしれない…」 そんな想いを胸に、ひとりで涙をこらえてきた方も多いはずです。
私はこれまで、数えきれないほどのご夫婦の“心の揺れ”に寄り添いながら治療を続けてきました。 その原点がどこにあるのか──少しだけお話しさせてください。
横浜の下町で育った、ひとりの少年の小さな願い
横浜三代目の純浜っこ
1960年、横浜の下町で三人兄弟の長男として生まれました。 野原を駆け回り、虫取りや草野球に夢中になれる、素朴で温かい時代でした。
小学四年生の頃、父に勧められて柔道を始めました。 稽古の中でケガをした仲間を見て、「どうしたら痛みを楽にしてあげられるんだろう」と思うようになりました。 その気持ちは、いつしか“人の心と体に寄り添う仕事がしたい”という願いに変わっていきました。
白衣を着て、誰かの不安を少しでも軽くしてあげたい。 その幼い頃の想いが、今の私の治療家としての人生を支えています。

昭和30年頃の横浜の市電 2021年版4月号 市電の歴史紹介より
苦しさを知ったからこそ、人の痛みに寄り添えるようになった
地元の私立中学を卒業した私は、柔道の名門・国士舘高校に進学しました。 モントリオール五輪金メダリストの故・斎藤仁選手をはじめ、多くの名選手を輩出した名門校。 そこで始まった寮生活は、まさに“猛稽古の時代”でした。
朝6時半の起床からトレーニング、授業後は4時間の稽古。 夕食と入浴を急いで済ませれば、先輩のお使いと洗濯。 10時には完全消灯。 一年生に自由時間などほとんどなく、ミスをすれば連帯責任で叱責される毎日。 心も体も限界を感じるほどの厳しさでした。
そんな中、同級生だった斎藤仁君とは、苦楽を共にした大切な仲間でした。 彼と支え合いながら、なんとか“地獄のような二年間”を乗り越えたのです。
しかし、三年生のある日、突然のアクシデントが起こりました。 稽古中、相手の足技を受けた瞬間、右膝から「ボキボキッ」と音が鳴り、その場に倒れ込みました。 診断は靭帯損傷。ギプスと松葉杖の生活が始まり、全国大会を目指していた私は深い絶望を味わいました。
必死にリハビリを続け、なんとか復帰はできたものの、思うように体は動かない。 それでも仲間と共に金鷲旗高校柔道大会の団体戦に出場できたことは、今でも大切な思い出です。
この経験が、今の私の治療家としての姿勢をつくりました
怪我の痛み、思うように動けない悔しさ、未来が見えなくなる不安── あの時の感情は、今でも鮮明に覚えています。
だからこそ、 「痛みを抱えた人の気持ちがわかる治療家でありたい」 そう強く思うようになりました。
不妊で悩む方の心の痛みは、身体の痛み以上に深く、誰にも見えません。 その孤独や不安に寄り添い、少しでも希望の光を取り戻していただくために、私は治療家として歩み続けています。
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教師ではなく「治療家」を選んだ理由
─それは、人の痛みを救いたいという想いが消えなかったからです。
高校卒業後、私は国士舘大学に進学し、教師を目指して教職課程に進みました。 子どもたちの成長を支える仕事に魅力を感じ、真剣に学んでいました。
しかし、どれだけ授業に向き合っても、心の奥底にずっと残り続ける想いがありました。 それは、幼い頃から抱いていた「医の道への憧れ」。 人の痛みを癒し、心に寄り添う仕事がしたい──その気持ちだけは、どうしても消えなかったのです。
大学三年生のある日、私はついに決断しました。 「本当にやりたい道に進もう」 そう心に誓い、世田谷区にある日体柔整専門学校の夜間部を受験しました。
大学と専門学校のダブルスクール。 授業を欠席する余裕などなく、毎日が挑戦の連続でした。 それでも一度も投げ出すことなく、二年間の教育課程を修了し、翌年には国家試験にも合格しました。
この経験が、今の私の治療家としての姿勢をつくっています
迷い、葛藤し、それでも自分の使命を選び取ったあの時の決断。 その覚悟があるからこそ、私は患者さんの人生に本気で向き合えます。
不妊で悩む方の痛みは、身体だけではありません。 「どうしてうまくいかないのか」 「もう一度だけ希望を持ちたい」 そんな心の揺れを、私は決して軽く扱いません。
あなたの体と心に寄り添い、 あなたの未来に一緒に向き合い、 あなたの願いを叶えるために、 治療家としての技術と情熱のすべてを注ぎます。
“この先生なら任せても大丈夫” そう思っていただける存在であり続けることが、私の使命です。
研修生時代に出会った、人生を変える“医の恩師”
──この出会いが、私を「本当に頼れる治療家」へと育ててくれました。
国家資格を取得した私は、従兄の紹介で横浜市内の外科病院の物理療法科に勤務することになりました。 そこで出会ったのが、病院長であり外科医であった故・千葉博史先生です。
千葉先生は、外科医でありながら東洋医学にも深い理解を持ち、 鍼灸、漢方、そして“人をまるごと診る医療”を大切にされていました。
当時の私は、まだ若く、技術も経験も未熟でした。 そんな私に千葉先生は、いつも穏やかに、しかし深い眼差しでこう教えてくださいました。
「患者さんの痛みは、身体だけじゃない。 心の痛みを理解できる人間になりなさい。」
この言葉は、今でも私の治療の中心にあります。
研修旅行でご一緒したときの、先生ご夫妻の温かい笑顔。 患者さん一人ひとりに向ける真摯な姿勢。 そのすべてが、私の治療家としての“原点”になりました。
この出会いが、あなたを支える力になっています
不妊で悩む方の多くは、身体の疲れだけでなく、 「どうしてうまくいかないのか」 「もう一度だけ希望を持ちたい」 そんな深い心の痛みを抱えています。
私は、その痛みを決して見過ごしません。 千葉先生から教わった “身体と心を同時に癒す治療” を、今も大切に守り続けています。
あなたが抱えてきた不安や孤独に寄り添い、 あなたの体が本来の力を取り戻せるように、 そして、あなたの願いが叶う未来へ向かえるように──
治療家としての技術と、恩師から受け継いだ想いのすべてを注ぎます。
ここは、ただ施術を受ける場所ではありません。 あなたの心と体が、もう一度前を向ける場所です。 あなたの未来に、そっと光が差し込む場所です。
「ここなら任せても大丈夫」 そう感じていただける治療を、私はこれからも続けていきます。

鍼灸の道へ進む決意
──“本当に人を救える治療家”になるために、私は迷いなく進みました。
病院で働きながら、私はずっと感じていました。 「もっと深く患者さんを支えたい」 「痛みの根っこに触れられる治療家になりたい」 その想いが日に日に強くなっていったのです。
そして1984年。 私は日本鍼灸理療専門学校の専科過程を受験し、合格しました。
昼は病院で患者さんと向き合い、夜は専門学校で鍼灸学を学ぶ。 二年半のダブルスクールは、体力的にも精神的にも決して楽ではありませんでした。 それでも一度も授業を休まず、学び続けました。
「本気で人を救える治療家になりたい」 その想いだけが、私を前へ進ませてくれました。
そして迎えた国家試験。 努力が実り、無事に合格。 晴れて鍼灸師としての道を歩み始めることができました。
さらに技術を磨くために、整形外科で研修を積む
──“本当に患者さんを救える治療家”になるために、私は迷わず前に進みました。
鍼灸師の資格を取っただけでは、まだ患者さんの痛みを救いきれない。 その現実を痛いほど感じた私は、病院を退職し、東京都内の整形外科でさらに研修を積む道を選びました。
そこは、教科書では学べない“本物の現場”。 患者さんの表情の変化、呼吸のわずかな乱れ、体が発する小さなサイン── そうした“体の声”を読み取る力は、現場でしか身につきません。
そして私は気づきました。 痛みには、必ず心の揺れが寄り添っているということを。
ただ技術を磨くだけではなく、 「この人は今、どんな気持ちでここに来ているのか」 「何に不安を感じているのか」 その心の奥まで感じ取ることが、治療家として本当に大切なのだと。
整形外科での研修は、私にそのすべてを教えてくれました。
鍼灸専門学校を卒業した日の写真を見ると、 あの頃の必死さと、 “治療家として生きていく”という揺るぎない覚悟が、今でも胸によみがえります。
この積み重ねが、あなたを支える力になっています
不妊で悩む方の体は、とても繊細です。 そして、その心はもっと繊細です。
だからこそ私は、 「確かな技術」と「深い理解」 その両方を持つ治療家でありたいと思っています。
あなたの体が本来の力を取り戻せるように。 あなたの心がもう一度前を向けるように。 そして、あなたの願いが叶う未来へ向かえるように。
これまで積み重ねてきた経験と技術のすべてを、あなたのために使います。
ここは、ただ施術を受ける場所ではありません。 あなたの未来に、そっと光が差し込む場所です。 あなたが「もう一度頑張ってみよう」と思える場所です。

治療院開院
──“本当に人を救える場所をつくりたい”という想いから始まりました。
1987年、整形外科での研修を終え、私は横浜市内に整骨鍼灸院を開院しました。 患者さん一人ひとりの痛みや不安に寄り添い、少しでも楽になってほしい── そんな想いだけを胸に、治療家としての道を歩み始めました。
やがて、母校の柔道部の生徒たちから、 「ケガをした」 「試合前に体を整えたい」 そんな相談が増えていきました。
彼らの体を守りたい。 夢に向かって頑張る姿を支えたい。 その想いが強くなり、私は2000年、治療院を世田谷区若林へ移転しました。 母校のすぐそば── “必要としてくれる人の一番近くにいたい” その気持ちだけで決めた場所です。
当時の一成堂整骨鍼灸院は、決して大きな治療院ではありませんでした。 けれど、来てくださる方が口々に言ってくださったのは、 「ここに来ると安心する」 「先生に診てもらうと前向きになれる」 という言葉でした。
その言葉が、私の治療家としての原動力になっています。
そんな生徒たちと共にしているうちに
──“命を育むことの尊さ”が、私の中で揺るぎない想いになっていきました。
現在も施術を担当している国士舘中学柔道部の生徒たちは、親元を離れ、寮生活をしながら学校に通い、授業後は毎日厳しい稽古に励んでいます。 体は大きくても、入学してくる中学一年生はまだ幼さが残り、心は小学生の延長線上にいます。
そんな彼らが、ケガをして落ち込んだり、悔し涙を流したりしながら、 少しずつ強く、優しく、たくましく成長していく姿を、私はずっと間近で見てきました。
自分のことすら満足にできなかった子が、 いつの間にか後輩を支える存在になっていく。 弱かった心が、努力と経験の中で、しっかりと根を張っていく。
その変化を見守るたびに、胸の奥が温かくなるのです。
そして、気づきました。
「子どもって、本当に素晴らしい存在だ」 「もっとたくさんの命がこの世に生まれてきたら、きっと世界はもっと明るくなる」
この想いは、日を追うごとに強く、深く、揺るぎないものになっていきました。
山村祐二先生との出会い
──この瞬間、私は“命をつなぐ治療家”として生きる覚悟を決めました。
国士舘の生徒たちを支えながら治療に向き合う日々の中で、 「もっと命の誕生に関わる治療がしたい」 そんな想いが、静かに、しかし確実に私の中で育っていきました。
そして2015年。 あるセミナーで、山村祐靜堂鍼灸院の山村祐二先生と出会いました。
山村先生は、武蔵小杉駅すぐの地で“不妊専門の鍼灸院”を構え、 その高い妊娠率から全国から患者さんが訪れる、まさに第一線の治療家でした。
初めて山村先生の講義を聞いた瞬間、 胸の奥で何かが強く、はっきりと動きました。
「これだ。 私はこの道で、人の未来を支えたい。 赤ちゃんを望む女性の力になりたい。」
その想いは迷いのないものでした。
私は講義が終わるとすぐに山村先生のもとへ向かい、 弟子入りをお願いしました。
そこから始まったのは、不妊鍼灸の基礎から応用まで、徹底的に学び尽くす日々。 技術だけでなく、妊娠の仕組み、体質改善、心のケア、生活指導── 命を育むために必要なすべてを、山村先生から直接学びました。
山村先生と撮った写真を見ると、 あのときの決意と、 「必ず不妊で悩む方の力になる」という覚悟が、今でも鮮明によみがえります。
この出会いが、あなたの未来を支える“決定的な力”になっています
私は、不妊で悩む方の体と心に寄り添うために、 技術も知識も、人生そのものも、この道に捧げてきました。
あなたの体を、あなた以上に真剣に考えます。 あなたの不安を、ひとつ残らず受け止めます。 あなたの願いが叶うまで、決してあきらめません。
ここは、ただの治療院ではありません。 あなたの人生に、新しい光が差し込む場所です。 あなたが「この先生に任せたい」と心から思える場所です。

もうひとつの想い
──“心が癒える場所でこそ、体は本来の力を取り戻す”と私は信じています。
私の治療院の目の前には、静かに風が通り抜ける公園があります。 そのすぐ隣には、吉田松陰先生を祀る松陰神社が佇んでいます。 季節ごとに表情を変える木々、澄んだ空気、どこか懐かしい静けさ。 この場所には、言葉では説明できない“やさしい力”が流れています。
不妊で悩む方の心は、とても繊細です。 検査結果に揺れ、周囲の言葉に傷つき、 「どうして私だけ…」と涙をこらえる日もある。 そんな心の痛みを、私は何度も見てきました。
だからこそ、治療院を構える場所には強いこだわりがありました。
ビルが立ち並ぶ雑踏の中で治療を受けるよりも、 心が静まり、呼吸が深くなる場所で施術を受けてほしい。 ここに来るだけで、少し肩の力が抜けて、 「また頑張ってみよう」と思えるような場所であってほしい。
松陰神社のそばというこの場所を選んだのは、 “あなたの心が自然と整う環境で治療を受けてほしい” その願いがあったからです。
公園の緑、神社の静けさ、澄んだ空気。 そのすべてが、あなたの体と心をそっと支えてくれます。
あなたの心と体が軽くなる場所で、未来を一緒に育てていきます
不妊治療は、体だけの問題ではありません。 心が疲れてしまうと、体も前に進めなくなります。
だから私は、 “治療院そのものが、あなたの心と体が蘇る場所でありたい” と願っています。

