金子弘喜院長 History

本日は一成堂整骨鍼灸院のホームページにおいでいただきありがとうございます。

たくさんの赤ちゃんが授かるためにささげた後半の人生

ここでは、私がどのようにして治療家人生を歩んできたのかを知っていただきたく思います。

横浜三代目の純は浜っこ

1960年横浜市の下町で三人兄弟の長男として生誕しました。横浜は今では日本で№1の人気の街ですが、私が子供の頃はたくさんの野原があり好き勝手に虫取りや草野球やり放題でした。小学生四年生の時体が大きかったため、父に柔道を勧められ町道場へ稽古に赴くようになり稽古に励みました。その頃から「医」に興味をもちだし将来は白衣を着る仕事に就きたいと子供心に願っていたことが思い出されます。

 昭和30年頃の横浜の市電

猛稽古の時代でした

地元の私立中学を卒業し高校は故、モントリオール五輪100㎏超級金メダリスト斎藤仁選手やアテネ五輪100㎏超級金メダリストを輩出した名門国士舘高校へ柔道部に所属し寮生活が始まりましたが地獄の毎日でした。当時の国士舘高校柔道部は稽古と寮生活が日本で一番厳しいと言われていましたが、案の定朝六時半の起床でトレーニングから始まり朝食を済ませ授業を終から4時間ほどの稽古、入浴と夕食を素 早く終えてから先輩たちのお使いと洗濯10時には完全消灯。何かミスがあると連帯責任でその学年全員が叱責されます。とくに一年生は自分の自由時間はほとんどなく毎日が地獄の生活でした。モントリオール五輪金メダリストの故、斎藤仁君は同級生で同じく苦労を共にした仲です。何とか地獄のような二年間を過ごし最上級生の三年生のときアクシデントがおこります。稽古中相手の足技を右膝で受けた際右膝からボキボキ音が鳴り立てなくなり、すぐの行きつけの外科医院に担ぎこまれました。診断名は靭帯損傷でギプスを巻かれしばらく松葉杖で歩くことに。全国大会を目指していたので精神的なショックは大きかったことを覚えています。リハビリに専念し何とか復帰したもののなかなか思うような稽古ができませんでしたが当時の高校柔道二タイトルの金鷲旗高校柔道大会団体戦に出場することができました。

高校二年時初の東京都大会出場(左から  故、齋藤仁君と(高校二年時・自宅に

3列目後ろから2番目)

教師の道から治療家へ方向転換

高校を卒業し大学はそのまま国士舘大学に入学し教師を目指し教職課程に進みましたが、どうしても「医」の心が頭から離れず大学三年時一念発起し世田谷区内ある日体柔整専門学校を受験し夜間で二年間整復学を学ぶことにしました。大学と専門学校のダブルスクールでしたが授業を欠席することもなく二年間の教育過程を終え翌年の国家試験にも合格することができました。

研修生時代、「医」の恩師と出会う

念願の有資格者となり就職は従兄の紹介で横浜市内の外科病院の物理療法科に勤務することになりました。そこの病院長でありました故、千葉博史先生との出会いが私の治療家としての礎になっています。千葉先生は外科医でありながら鍼灸や漢方薬などの東洋医学にたいへん興味があり、私が鍼灸師になる道筋をつけていただいた方でもあります。

病院研修生時代、恩師千葉博史院長夫妻と(研修旅行から)

鍼灸学校に進む

そんな経緯から病院勤務から翌年の1984年、日本鍼灸理療専門学校の専科過程を受験し合格。病院勤務のかたわら夜間で二年半鍼灸学を学びその年の国家試験にも合格し晴れて鍼灸師になったわけです。

その後病院を退職してから東京都内の整形外科でさらに研修を積みました。

鍼灸専門学校卒業

(日本鍼灸理療専門学校にて)

(半年かけてスーパーダイエット後)

治療院開院

1987年研修を終え横浜市内で整骨鍼灸院を開院しましたが母校柔道部の生徒のメンテナンスとケアを行うために2000年に治療院を世田谷区若林の母校の傍らに移転しました。

当時の一成堂整骨鍼灸院

そんな生徒たちと共にしているうちに

私が現在でも施術担当している国士舘中学柔道部の生徒は親元を離れ学校に通い授業後は稽古に励み、身の回りのことは自分で行う寮生活をしています。アスリートの卵たちがたくさんいます。中学一年生が入学してくるとき体は大きいもののまだ小学生と同じです。そんな生徒たちのお世話をしているとどんどん生徒たちがたくましくなり、そんな姿を見ているうちに「子どもっていいな~子供がたくさん産まれてくればもっと世の中が楽しくなるだろうな」という気持ちが日に日に強くなってきました。

山村祐二先生との出会い

そんな日々を過ごしながら2015年あるセミナーで山村祐靜堂鍼灸院、山村祐二先生と出会います。山村先生は川崎市の武蔵小杉駅からすぐのところに院を構え不妊専門の鍼灸施術を行っていてその妊娠率の高さから患者さんが絶えない人気院でした。そのとき私は「これだ!少子化問題や赤ちゃんが出来なくて困っている女性の一助となれば!」の想いがよぎり、山村先生のセミナーから弟子入りまでをお願いして不妊鍼灸の猛勉強を始めたのです。

山村祐靜堂院長 山村祐二先生と(山村祐靜堂にて)

もうひとつの想い

私の治療院の前には公園があり、その傍らには明治維新で活躍された吉田松陰先生が祭られている松陰神社があります。神社は神聖な所にしかありませんので、不妊という悩みが深い患者様のことを考えたとき、ビルが立ち並ぶ雑踏の中で施術を受けるよりも患者様自身が澄んだお気持ちとパワーをいただきながら施術ができるとの想いもありました。

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